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皆さん、「フライング・ドクター」をご存知ですか?日本では「ドクターヘリ」というと馴染みがあるでしょうか。陸路では救助・支援に行く事ができない場所へ航空機を用いて医療支援を行うものです。今回は、その原点ともいえるエピソードをご紹介しようと思います。

オーストラリアの20ドル紙幣にも印刷されている偉人ジョン・フリン氏。彼は長老派協会の宣教師として内陸部で活動を行っていました。この1910年代当時、オーストラリアの内陸部では医療において深刻な問題を抱えていました。西オーストラリア州30万平方kmと北部準州150万平方kmをたった二人の医師のみで診療していたのです。内陸部で暮らす人々は病気やケガにおびえる日々だったことでしょう。この状況を知ったフリン氏は人々を救いたいと考えたのです。

そこでまずとった策は、内陸部に小病院やホステルをつくり、医療品の配達の為牧師たちを遠隔地へ向かわせる等しました。無いよりはマシになりましたが、遠距離間の通信手段という問題はまだ未解決のままでした。

1903年、ライト兄弟が有人飛行機の初飛行に成功しました。そして同時期にマルコーニの無線機の長距離の通信を可能にしました。これを知ったフリン氏は、飛行機と無線技術を利用して空飛ぶ救急車を実現させたいという考えに至りました。

そうして1928年に初めて飛行機を用いた医療サービスがスタートしました。飛行機はカンタス航空が提供、民間からも寄付が集まり、多くの人々の希望が漸く形になったと言えます。開発されたばかりだったペダル発電機付きモールス無線通信機も採用され、加えて内陸部に緊急時の医療品が入った「メディカル。チェスト」も設置されました。また、無線通信の知識を内陸部の子供たちにも普及させ、通信を可能にしていきました。

こうした努力が認められ、1955年にはエリザベス女王より「ロイヤル」の名称を付与され「ロイヤル・フライング・ドクター・サービス」という名の非営利組織として活動していきました。オーストラリアでは彼らのこうした活躍に深い敬意と感謝の意を表し、紙幣にフリン氏の顔が印刷されるに至ったのでした。